水道屋の社長のブログ

「快適な生活創造業」の、日々のあれやこれや。

朝礼

月例の朝礼。
今日は「いじめ」について、最近思うことを話した。
最近のいじめは陰湿になっている、と言われているが、
自分の子ども時代にもいじめがあり、友達を泣かせたことも、
仲間はずれにされたこともある。また、自分の父母の時代、祖父母の時代も
いじめはあったはずで、人類の歴史と同じだけいじめが続いているのだと思う。
いじめというものは無くならないものなのだ。
そもそも人間は自分と異質な者や、自分たちのグループと異なるグループを排除する性があり、
「いじめ」られたかどうかの判断はその行為を受けた人の主観で決まるので、たいていの
場合いじめた方はその自覚が無い。だから「いじめられない」ようにすることは難しいと思う。
だからいじめに屈しないように強くなるしか無いのだと思う。
ただし、ある集団の中でいじめをなくすにはお互いに認め合い、理解し合うことが必要で、
そのためには直接顔をつきあわせて話をすることが重要だと思う。
携帯電話やネットなどによりコミュニケーションは便利にはなったが、
相手と顔を会わせて直接会話する手間を惜しんではいけないと思う。